日常生活の中で出来事から、考えたこと、感じたことを適当に。 音楽やら、数学やら、食べ物の話やら、好きなことを好きなだけ気が済むままに。

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ごめん、ちょっと重いです・・・
「弱い人々は、譲歩すべき時に決して譲歩しない。」
 レス枢機卿

「過ちて改めざる、これを過ちという」
 孔子「論語」より

「間違っていましたと認めるのを恥じる必要はない。
 それは、言い換えれば、今日は昨日より賢くなったということなのだから。」
 アレグザンダー・ポープ

「倹約した金は儲けた金である」
 レニエ「どんく」より


ちょっと内容重いです&久々長いです。よかったら最後までお付き合いください。
ちょっとした備忘録です。今までなんとなく考えていたことが、今日まとまったです。



例えば、ニュースで脱税や税金の無駄遣いなどを見ると、頭にくる人は多いと思う。

かく言う私もその一人です。税金嫌い(好きな人は多分いない)

昔よくニュースでみたのが、ダムの建設
20年前とかに着工して、完成予定は2020年とかで・・・でも、今では地方の過疎化が進んで、ダムは不要。
でも、着工したからには、どこかの官僚だか政治家のプライドにかけて完成させる
その為に大量の税金がつぎ込まれる。


では、そもそも税金を払うとはどういうことなのか?

人間は一人では生きていけない。特に近代化した社会では、人間は人の助けなくしては生きていけない。
人を助けることや、誰かに、何かに貢献することは大切なこと、一般的に価値にあることとされる。
洋の東西を問わず、宗教を問わず、このあたりは大きく変わらないと思う。

でも、全ての人の人生に貢献すること、これは不可能だ。
だから我々は、社会人として税金を納めることで、社会全体に貢献する。

つまり税金を払うとは、社会全体に貢献するということ。
株式会社とか、資本主義とはそういう仕組みだ。

日本人は戦後60年以上経って、いまだこの考え方をものにできてない。(と言われている)

株式会社にとって、「税金を納める」とは「利益を上げる」こととイコールだ。
利益があるから、その一部を税金として納める。利益がなければ、税金は納めなくてよい(多分、すぐつぶれる)

社会に貢献できないのだから、つぶれてよい。
一部の人間はその会社がなくなれば困るかもしれない。
だが、社会全体は困らない。だから、つぶれてよい。

日本人は人情に走りやすい。目の前の客のために、多少利益が減ってでも貢献しようとする。
しかし、これは株式会社の仕組みからすれば間違っている
一部の人に貢献するために、全体への貢献のチャンス(税金)を失うことは間違っている。

ちょっと極端な理論に走ったが、大雑把に言えばこんな感じだと思う。


話がずれたが、ここで言いたいのは、
株式会社に代表される民間企業にとって、利益が減るということは納める税金が減る
ということを意味する。
つまり、税金を無駄遣いしているのと変わらない

無駄な作業が増えたり、仕事の効率が悪かったりと言うことは、
カラ出張や、資産隠しのように脱税と変わらない。

プロジェクトの初めに計画していた工程などが、プロジェクトが進むにつれ不要とわかったとしても、
「初めに○○さんが必要といったんだから・・・」
と言って、お偉いさんの顔を立てるために無駄を省かないとしたら・・・
まさに、不要なダムを作り続けて税金を無駄にしている一部の政治家と変わらない。

脱税を笑えない。
政治家を笑えない。



色々かきましたが、要は間違えは早く訂正しましょうってことです。
間違いに気づいたとき、間違いを改められることも大切なことだ。そういう大人になろう。
と思う今日この頃。

長文になりました^^
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多数決とは?
「数の暴力」

「より良い妥協」

多数決をさして、どこかの誰かが言った言葉


高校の時「多数決とは数の暴力ではなく、より良い妥協を求めるものだ」
という考え方に感動したのを覚えています。
多数派の人だって、自分の意見が唯一正しいものだ、なんて必ずしも思っていないものです。

多数派の意見が正しいわけではなく、同時に少数派の意見が間違っているわけでもなく、多数派の意見の方が「妥協点として優れている」だけです。

おわり

プロとアマチュア
「持ってる工具が金槌だけであると、問題がすべて釘に見えてくる」 Abraham Masiow

「人間には進歩か退歩かのいずれかがあって、その中間はない。 現状維持と思うのは、実は退歩している証拠だ。」 森信三



プロとして仕事をしようと思ったら、常に向上しようと思うのは当然のこと。
どこかのITコンサルタントは「顧客マナー」の一つとして、自己啓発を入れているそうだ。つまり自己啓発は挨拶と同じレベル
様々な解決方法を知らなければならない。進歩した技術を知らなければならない。
古い金槌だけ持ち歩いてる人が一番怖い。ってか、21世紀だよ!
20世紀の金槌じゃ・・・

エンジニア以外の仕事をしたことがないから、ほかの分野についてはよくわからないけど、どこの業界でも同じじゃないかな。


アマチュアとして、いくつかのオーケストラで演奏したことがある。社会的にみれば、すきな者どうしが集まったただのサークル活動。でも、みんな自分のやりたいことをやっているし、すこしでもうまくなりたい綺麗な演奏をしたいと思っている。

それは一緒に演奏する「仲間」のため、聞きにくる「」のため、そして勿論「自分」のため。


はっきり言って、プロとは思えないエンジニアはたくさんいる。自分が経験してきたアマチュアオーケストラの方が、よっぽど向上心がある。
アプリコもたんぽぽも、みんな向上心のかたまりです。


アマチュアとして長年、楽器を続けてきたことを誇りに思いながら、アマチュアにも遥かに劣るプロを横目に、今は腐ることなくプロのエンジニアとして、向上していきたいと思う。

あんまり会社の人が読まないことをねがう・・・(じゃ書くなって感じだよね ^^;)

おわり。

突然だけど、久々にまじめに考える
「学校で学んだことを一切忘れてしまった時になお残っているもの、それこそ教育だ」

「わたしは、先のことなど考えたことがありません。すぐに来てしまうのですから」

 アルバート・アインシュタイン

今日の帰りの電車で乗ってきた3人の小学生の会話を聞いていた。回りの乗客も多分聞いていただろう。ってか大声でしゃべってるから聞こえてだろう。

どうやら、中学受験をするらしい。でてくる学校名は超有名校ばかり。しかも模試とかで、3人とも合格率80%ちかくでてるらしい。

しまいには、大学のどこ行くかまで話始めた。
それも、東大、京大、慶応などなど、こっちも有名校ばかり。ってかそこしか知らないだけかも・・・
夜遅くまで塾に通ってるくらいだから英才教育をうけてはいるんだろうが・・・

別にだからどうしたと言うわけではないんだが、話を聞いていていらいらするのはどうしてだろう。自分自身が歩まなかった、歩めなかった路を意気揚々と目指している後進たちへの嫉妬だろうか・・・?
いや、ああいうエリート街道にあこがれる程、つまらない人生なんて歩んできてないぞっ、と思う。

多分彼らが、見えているものだけが全てのように思い、浅はかに夢を語るのが馬鹿馬鹿しく思えるからだろう。
どうせ彼らの将来は、今の彼らが今思い描いているようになんてならない。それは良い意味でも、悪い意味でも

でもいつから自分はこんな現実的になってしまったのだろうと思う。夢なんてあんまり見なくなったなぁ・・・
もう少し、夢を語ってもよさそうなものだ。また休日にオケに戻ったらそうなるだろうか。

話はかわって・・・
冒頭に引用したアインシュタインの言葉ですが、別の本ではこう出てました。上の訳の方が心に響くので上の訳を使いましたが、もったいないのでこっちも載せておきます。語順の大切さを実感します。

「教育とは、学校で習ったことを全て忘れた後に残っているもののことである。」
ね、冒頭の引用の方がいいでしょ?

今年度ももうすぐ終わり
「道を知っていることと実際に歩くことは違う。」 映画「マトリックス」より

「自分が考えたように生きなければならない。そうしないと、自分が生きたように考えるようになってしまうから」 ブルージュ

頭ではわかってるんだけどね、なかなかできないことがたくさんある。逃げ道と言い訳ばっかり探してるから、それしか見つからないだけなのかな。
ってか逃げ道と言い訳に関してはうまく見つけてるじゃん。探したものは確実に見つけてるんだから、別のもっと有用なものを探せばいいだけじゃん。
と思ってみました。

おわり

絶対に
「絶対に失敗しないとわかっていたら、本当は何がしたかったですか」 ロバート・シェラー(米)

1年ほど前に出会った言葉。今でも時々考える。
英語の原文を読んだことが無いのでわからないが、この日本語訳が好き。

「本当は」と「したかった」に強いニュアンスを感じる。

「今やりたいことできてる?」「失敗を恐れてやりたいことできてないでしょ?」

そういうニュアンス。

今は一番の趣味の音楽を、仕事にしなかったことをよかったと思っている。あくまで趣味。それでよい。もっと幅を広げていきたい。
今のエンジニアとしての仕事も気に入ってきた。やりたいことも山ほどある。

最近、こんなことばっか考えてるな。ちょっと疲れ気味。

譲れない、譲らない
「譲れない」と「譲らない」は全然違うことだと思う。

「譲れない」物がある人間になるべきだ、そういう大人にならなければならない。
一方で「譲り合える」人間になるべきだ。これは「譲れないものがない」というのとは別の問題だ。

自分にとって、「譲れないもの」とは何だろう?ただ、考えに固執して「譲り合う」気持ちを忘れてしまっているだけではないだろうか?それを最もらしく理由をつけて「譲れない」と主張しているだけではないだろうか?

願わくば「譲れないものをもった、譲り合える人間」になりたい。そういう人に会ってみたい。(会ったことないかな・・・?)

ひとりごと
地震でJRがとまってやっとこさ帰宅・・・定時退社日が・・・

今日は思ったことを長々と書いてみます。

電車が止まって、乗客がみんな駅の外にでた。すごい行列。駅は西大井。バスで大井町まで行ってそこから品川に行かないと横浜方面にも出れない状況。時間は夜の9時。疲れててちょっといらいらしてた。きっとみんないらいらしてた。

そんな中、駅の外で切れてる人がいた。
「駅員でてこい!」
とか叫んでる。気持ちはすごくわかるが・・・そんな人を見てて思った。

「みっともない」

日本では客とサービスの供給者だと、何故か異常なくらい客の方が偉い。資本主義社会では客がある程度丁寧に扱われるのは当然かもしれない。でも何か変だ。思い上がっている客がいるのだ。だから電車がとまった時に駅員に切れるのだ
切れたって電車は動かない。駅員だって精一杯対処してた。馬鹿な客にかまってる暇はない。

取引の原則は「等価交換」だ。代償に見合っただけのサービスを提供すれば、客とサービスの提供者の間に上下関係はない。「等価」で交換するのだから当然だ。
客が時にはサービスの提供者を叱らなければ、サービスの提供者は成長しない。客に叱られる経験も大切だと思う。「叱る」とは相手を思いやっての行為だと思う。なのに、ただ「怒る」だけの客がい、自分の感情をぶつけるのみの人がいる、思い上がっている客がいる。自分で考えられる理由は二つ。

自分も仕事をしているからわかる。一つ目は、サービスの提供者が自分の仕事に自信がないからだ。自分が提供しているサービスの価値を自分で決めれないからだ。自分の仕事に自信があれば、代償との釣り合いがわかると思う、つまり等価交換の意味がわかると思う。
これがわからないから必要以上に客に対して下手にでる必要が出てくるのだ。

二つ目は、20世紀のあの言葉がまだ日本人の心を捉えているのだ。

「お客様は神様です」

これは等価交換が成り立つのであれば「そのお客様は大切だ」というだけの話だと思う。代償以上のサービスの提供を要求してくる客なんて神様じゃない。拡大解釈されてる感がある。

自分ももっと社会のことをしらないといけないと思う。今の時代のことを学び続けないといけないと思う。まだまだ知らないこと、見えてないことが多い。21世紀はそういう時代だと思う。好奇心が無ければ取り残されてしまうと思う。動き続けなければいけない時代だと思う。
動くことのなかった18世紀に生まれなかったことを悔やんでもしかたない。
われわれ(6歳以上の人はみんな)はまだ、21世紀の6年生だ。義務教育がまだ終わっていない。この時代のことをもっと知らないといけない。そしていつか知ることになるだろうと思う。

いろんなことを考えた一日でした。終わり
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